騒音問題から考えるポジティブ思考

こんにちは☻
今日は、ワンちゃんにかかわるお話をさせていただきたく思います。

皆様は、ご近所の騒音に悩んだ経験はありますか?
なければ越したことはないと思いますが、今、もしなかったとしても過去に経験したという方もきっといらっしゃるでしょう。

私は、今は違いますがかつてご近所のお宅の犬の吠える声のうるささで悩んだ経験があります。
苦情は言いたくてもトラブルにあっては嫌と泣き寝入り。

ですがこれをポジティブにとらえることで克服することができました。

その秘訣は、自分のご近所一帯の番犬ととらえて感謝する事、犬が吠える一帯に盗人は寄り付きずらい、そうとらえることで一気に心は軽くなり解決しました。

このように物は考えようです。マイナスの事もプラスにできるんです。
では、今日も皆さんにとって:ワン:だフルな1日となりますように☻

動物としての人

こんにちは。
つい最近、動物行動学研究家の竹内久美子氏が解説されていたあるYouTube動画を拝見し、興味深いお話があったのですが、その動画を観たすぐ後で、山田五郎氏のYouTubeチャンネル「オトナの教養講座」で「なぜ?男はズボン 女はスカート 衝撃の理由」を拝見する機会があり、これまた面白くためになる内容でしたので、双方を拝見し思ったところを独断的に述べたいと思います。

動物界においてメスがオスを選ぶのが基本であり、オスはメスに選ばれるため派手で目立つ見た目になっている(例えばクジャクのオス)のであり、メスは選ぶ側なのでとても地味な見た目が多いということです。例外的に鳥の一種でオスがメスを選ぶものがいるそうですが、この場合はメスの方が派手な見た目になっているそうです。
人間も動物なわけですから、無意識の部分では女性が男性を選ぶシステムが残っているはずであり、男性は女性に選ばれるべく目立ちたいと奥底では本能的に行動しているのではと思うわけです。

そこで山田五郎氏の先のテーマによる話になるのですが、その内容をかいつまんで言いますと、西洋ファッション文化において市民革命前は上流階級においては男女の服装の違いはほとんどなく基本スカートの長い(女性)か短い(男性)(脚線美が良い男性がもてたため)(後にキュロットになっていく)(男性の方がやはりより派手だった)かの違いだけであり、ズボンかスカートかは性差というよりは階級差によるもの(労働者階級がスボンをはいていた)であったものが、市民革命以後、理由は不明ながら性差によるものに意識づけられていってしまったとのことです。これに日本文化も影響を受け、男女とも着物文化だったものが、男はズボン、女はスカートになり現在に至るわけです。

以下は、私の独断的に考えになります。
この流れは男性を地味に、女性を派手にするものですから、先の動物行動学的に男性が女性を選ぶシステム(世の中)にしたかった一派がいたのかもしれないと。結果、男性優位の社会を確固たるものにしたかったのかと。 だとすると、ある意味成功したのではないでしょうか。
しかし、昨今のファッションの多様性をみると、先に述べた意味での本能への回帰を欲することに拠る、反発の現れなのではないかと思えてしまうのでした。

皆さんはどうお考えになりますか。